7.ゲイム考

蝦夷の野望(始まりの巻)

マニュアルもまともに読まぬままに、
とりあえずノブヤボ創造をスタート。

年代は最古となる1534年。信長が生まれた年です。
場所は蝦夷(北海道)!最果ての僻地から南下します。
しかも新武将のみの新勢力!空き地スタート!1城のみ!
初回なんで難易度は最低にて(弱気)

 

城を建てる場所は蝦夷を支配する蠣崎氏の
本城(西)と支城(東)の間に寸断する形で建設。

まずは一年くらいチマチマと内政に勤しみます。
とはいっても本城を持ってないとやれることも少なく
施設の建設や道路整備なんかは出来ないので
開発で商業・石高・兵舎を上げてきます。

一年後、まずは小手調べと支城に全軍1000にて出撃!
野戦はとりあえず突破したものの城が全然落ちません。
城防御は強攻や火攻で0になってるものの、
士気ゲージ(?)自体が画面内に見つからず
攻め落とせずに退却。。。初戦を飾れませんでした。
ここで通常難易度だったりしたら、
本城から逆襲の追撃がきてアボーン⇒滅亡のパターンなのですが
低難易度のおかげで本城は静観の構え。ホッ・・・
ここはさらに数年、開発と兵の補充を待ちます。
※のちに気力ゲージは地図画面を最も拡大すると表示されると判明。

数年の内政と兵の補充を待ちつつ、
ちょっと客観的な大局戦略を考えてみる。。。
支城支配では少ないコマンドの中から使えそうなものを見てみると・・・
・外交⇒工作
他家と外交を行い同盟や援軍なんかも頼める。
・諜略⇒密談
他家の武将を叛心させて寝返らせたりする。

近隣の状況を調べた結果、南部家なら蠣崎の本城に対して
援軍を出して貰えそうなのでさっそく外交工作をスタート。
ちなみに20以上で毎月資金援助。40以上で援軍を頼める模様。

約1年後、外交工作が実り援軍を頼めるようになったので
さっそく蠣崎の本城に対しての出兵を南部家に要請。
今回は南部家が出す戦力と動きを試すため、うちは出兵せず。
完全なる様子見(ひでぇ)

月内に南部家より兵1000が出兵。
蝦夷の南海上にて迎撃に出た蠣崎軍1000と激突。
南部軍は蠣崎軍を撃退するも、その後
追撃して攻城戦には向かうことなく自城へ撤退。
・・・ふむふむ、これは使える(ニヤリ)

そっから、さらに1年後の頃。南部家から再度40の信頼を得て。
内政は現在のほぼフル完了。兵数も現在の限界水準の1200。
満を持して南部家に援軍を頼み柿崎家の本城攻めへ!
会戦にてサックリと敵部隊を倒し攻城戦へ。力攻め!
※火攻は内政値が下がるので駄目とやっと分かった(笑)
思いのほか堅硬のため包囲は月をまたぐ長期戦になり、
南部家は中途で退却したものの、翌月無事に落城攻略!

 

初の本城支配!開始から紆余曲折5年くらいかかった!(笑)
武将は2人を捕獲。当主は東の支城へと落ち延びていきました。
まずは城攻めで落ちた国力を内政で回復させ、
やっと使える本城だけのコマンドを実行っ!
・普請⇒建設
内政値の上限を上げたり特殊効果を付加する施設を建設。
・普請⇒修復
城攻めで落ちた城耐久を修復。
・普請⇒整備
街道のレベルを上げ、内政の効果や人口を増やす。
・内政⇒政策
毎月金銭を使って特殊な政策を施策。

2つの支配城を繋いでいる街道を整備し、
支城の施設を増強し底上げ。兵も増やす。
早々に蠣崎家から従属の使者がくるも、
蝦夷は完全支配を目指しているため拒否。

約一年後、満足に補充された兵を率い
本城1500、支城1000にて出陣。東端の蠣崎家の城を攻める。
1番最初の失敗を戒めに、今回は相手より大兵にて包囲。
今回は余裕で落城させ。蠣崎家は滅亡。
やっとこ蝦夷の完全支配成る!
※後にさらに東端にいた国人衆も取り込んだ。

 

いよいよ、本州への進攻を開始する前に全国の情勢を調査。
「人口数ベスト5」
1.大内家義隆 205450
2.大友家義鑑 192464
3.北条家氏綱 189828
4.長尾家為景 186709
5.細川家晴元 175769
(☆☆家 56335)

「石高ベスト5」
1.大友家義鑑 8977
2.大内家義隆 8929
3.北条家氏綱 8313
4.本願寺家証如 7487
5.長尾家為景 7117
(☆☆家 2862)

「兵数ベスト5」
1.北条家氏綱 36046
2.大内家義隆 35282
3.大友家義鑑 32530
4.長尾家為景 28492
5.今川家義元 27813
(☆☆家 5588)

「武将数ベスト5」
1.長尾家為景 39
2.細川家晴元 30
3.大友家義鑑 28
4.尼子家経久 26
5.武田家信虎 26
(☆☆家 17)

西は大内・大友、東は北条・長尾が伸長し、
今川・武田・尼子が後を追っているような状況。

まずは本土進出のための進攻先を調べるも、
南部家が西・南へ進出しており進路を塞がれているような状況。
・・・蠣崎家打倒では大変お世話になったけれど、
これも戦国の習い。南部家と戦うことを決断。

まず攻めるは西陸奥の二つ並んだ本城・支城の支城側。
来たるべき戦いに備え、南部家と隣接する羽後国の
安東家・戸沢家に対し外交工作を開始。
また1年くらい内政や建設を行い戦力の充実を待ちます。。。

約1年後、南部家への進攻作戦決定。
全体の戦力としては倍近あり、また城も二つが隣接していて
援軍が考えられるので一度で攻め落とすのは無理と踏み、
とりあえず相手側に一定の被害を出したら、無理押しして
無駄に兵を疲労せず早急に撤退するという作戦。

蝦夷より、本城1700・支城(西)1000にて出陣遠征。
南部家から本城2000・支城1000にて迎撃し、
双方1人ずつ武将が捕縛され、両者引き分けの状況で帰城。

さらに1年、内政開発を進め、
兵を補充し支城を落とす決意で出陣!
本城2000・支城(西)1500・支城(東)700、総勢4200。
低難易度で兵補充が進んでいない本城・支城の部隊を蹴散らし進軍(笑)
その月にあっさりと支城を落とす!
西陸奥国内に2ついた国人衆を懐柔し協力を取り付ける。

今回はその勢いのままに数ヶ月で隣の本城に進攻!
兵の補充もままならぬままに本城も速攻で陥落させる。
これでやっと蝦夷・西陸奥の本城2国持ち。南部家の勢力を超える。
1544年、開始から10年。やっと戦国のスタートに立つ!