私的 武将名鑑
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中臣 鎌足
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中臣(藤原)鎌足 614-669年 享年55歳。
臨終に際し天智天皇(中大兄皇子)より
藤原姓を下賜された藤原氏の始祖。
中大兄皇子と共に大化の改新を推進した。
種別:古代
武田(葛山) 信貞
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1560?-1582 享年22前後 (自決)
武田信玄の六男。
駿河 葛山氏元の養子となり葛山氏を継承。
しかし信貞自身はまだ幼少であり駿河には赴かず、
実効支配は城代の御宿友綱が行った。
織田信長の甲州侵攻により武田勝頼らと共に自刃。
御宿友綱の子 御宿勘兵衛は信貞の隠し子
・・・なーんて説もあるそうな。
種別:戦国
御宿 友綱
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1546-1606 享年60歳(病死)
長男は御宿勘兵衛(政友)
次男は松平忠輝に仕えた御宿政綱
葛山氏元の甥。若くより武田信玄に仕える。
氏元が信玄の六男 信貞を養子に迎えた際には
城代として葛山城に入った。
武田家滅亡後は北条家へ、
さらに滅亡後には徳川家へ。
医師としても信玄に仕えていたそうな。
種別:戦国
葛山 氏元
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1520-1573 享年53歳 (刑死)
駿河東部を国衆として自主統治。
北は武田家、東は北条家、西に今川家という
緩衝地帯にて北条家⇒今川家、
そして武田家と蝙蝠のように渡り独立を保つ。
最終的に武田信玄の六男 信貞を養子に取り
隠居したものの、謀反の罪により血族は皆処刑。
嫁は北条氏綱の娘で、
婿養子は武田信玄の息子と聞いたら
なんだか天下に近い大人物のようだが
単に生まれた場所が元々激戦区なだけなのでした。
ちなみに松千世、竹千世、久千世という
三人の息子がいたそうだが、成人後の名さえ不明。
種別:戦国
一条 能成
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1163-1238年 享年75歳(病死)
源義経の異父弟。義経に仕えた。
義経死後は20年近く不遇の閑職とされたが、
1208年に政権に復帰。以後、従三位まで昇進。
種別:源平
源 範頼
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1150-1193 享年43歳(誅殺)
兄 頼朝に呼応し遠江から挙兵。
弟 義経と共に平家打倒の戦で活躍。
幕府開府後には、頼朝親族の
重鎮として重用されるかと思いきや・・・
北条一族の追い落しにより、
領地没収のち伊豆に流され自死。
種別:源平
源 頼朝
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1147-1199 享年52歳(病死?事故死?)
平家を打倒し、異母弟の義経・範頼を追討。
幕府を開いて10年も経たずにポックリ。
嫁は源政子とは呼ばれず、
北条政子。怪しいのはそういうこと。
種別:源平
加藤 嘉明
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1563 - 1631 享年68歳。
賤ヶ岳七本槍の1人。
元々は徳川家康の家臣の家柄だが、
三河一向一揆で父と共に家康に背き敗戦。
のちに秀吉配下 加藤光泰に仕え、
有能さから秀吉の直臣となる。
本能寺後は淡路1万5千石、
朝鮮遠征では副将として水軍を率いた。
戦中に6万石に加増。さらに10万石に。
関ケ原では東軍につき、
20万石に加増。さらに会津43万石に転封。
元徳川家臣の武家だったこともあり、
賤ヶ岳七本槍では一番厚遇された。
ちなみに後継者 明成の乱心で
加藤家は2万石の大減封で近江へ転封となった。
種別:戦国
糟屋 武則
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1562 - 1610(?) 享年50前後?
賤ヶ岳七本槍の目立たない1人。
死没年すら分かりゃしねぇ(苦笑)
槍の名手。元々は播磨 別所氏の家臣の家系という。
母が小寺政職の妹ということもあり、
黒田如水と親交があった。
関ケ原では西軍につき奮戦。
戦後に領地没収され改易。
種別:戦国
福島 正則
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1561-1624 享年63歳。
桶大工の息子ながら、
母が、秀吉の母の妹という縁から
秀吉に小姓として仕える。
賤ヶ岳の戦いで一番槍の戦功を上げ、
5000石の高禄を得る。
秀吉の天下統一後は、
伊予11万3000石⇒尾張24万石。
ここまで秀吉に厚遇されておきながら
三成憎しから早々に家康に接近。
関ケ原では東軍の主力として戦い、
大阪の陣では黙って豊臣家滅亡を見るのみ。
安芸50万石に加増転封された。
なお大阪の陣から4年後、
家康死後に安芸50万石は言いがかりから
早々取り上げられ信濃4万5000石に減封。
そして隠居。
息子も夭折し意気消沈し2万5000石を返上。
福島正則死去の折に福島家は取り潰しとなった。
所詮、桶大工の息子は一代のみの大名であった。
種別:戦国
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