私的 武将名鑑
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源 範頼
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1150-1193 享年43歳(誅殺)
兄 頼朝に呼応し遠江から挙兵。
弟 義経と共に平家打倒の戦で活躍。
幕府開府後には、頼朝親族の
重鎮として重用されるかと思いきや・・・
北条一族の追い落しにより、
領地没収のち伊豆に流され自死。
種別:源平
源 頼朝
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1147-1199 享年52歳(病死?事故死?)
平家を打倒し、異母弟の義経・範頼を追討。
幕府を開いて10年も経たずにポックリ。
嫁は源政子とは呼ばれず、
北条政子。怪しいのはそういうこと。
種別:源平
加藤 嘉明
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1563 - 1631 享年68歳。
賤ヶ岳七本槍の1人。
元々は徳川家康の家臣の家柄だが、
三河一向一揆で父と共に家康に背き敗戦。
のちに秀吉配下 加藤光泰に仕え、
有能さから秀吉の直臣となる。
本能寺後は淡路1万5千石、
朝鮮遠征では副将として水軍を率いた。
戦中に6万石に加増。さらに10万石に。
関ケ原では東軍につき、
20万石に加増。さらに会津43万石に転封。
元徳川家臣の武家だったこともあり、
賤ヶ岳七本槍では一番厚遇された。
ちなみに後継者 明成の乱心で
加藤家は2万石の大減封で近江へ転封となった。
種別:戦国
糟屋 武則
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1562 - 1610(?) 享年50前後?
賤ヶ岳七本槍の目立たない1人。
死没年すら分かりゃしねぇ(苦笑)
槍の名手。元々は播磨 別所氏の家臣の家系という。
母が小寺政職の妹ということもあり、
黒田如水と親交があった。
関ケ原では西軍につき奮戦。
戦後に領地没収され改易。
種別:戦国
福島 正則
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1561-1624 享年63歳。
桶大工の息子ながら、
母が、秀吉の母の妹という縁から
秀吉に小姓として仕える。
賤ヶ岳の戦いで一番槍の戦功を上げ、
5000石の高禄を得る。
秀吉の天下統一後は、
伊予11万3000石⇒尾張24万石。
ここまで秀吉に厚遇されておきながら
三成憎しから早々に家康に接近。
関ケ原では東軍の主力として戦い、
大阪の陣では黙って豊臣家滅亡を見るのみ。
安芸50万石に加増転封された。
なお大阪の陣から4年後、
家康死後に安芸50万石は言いがかりから
早々取り上げられ信濃4万5000石に減封。
そして隠居。
息子も夭折し意気消沈し2万5000石を返上。
福島正則死去の折に福島家は取り潰しとなった。
所詮、桶大工の息子は一代のみの大名であった。
種別:戦国
平野 長泰
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1559-1628 享年69歳。
父 平野長治の代から秀吉に仕える。
賤ヶ岳七本槍の1番目立たない人。
3千石⇒5千石
七本槍で唯一大名になっていない。
関ケ原以後は徳川方として、
徳川家旗本として幕末まで存続した。
一応、平氏の末裔を自称。
豊臣を裏切った福島しかり、加藤しかり
なんだかんだで代々武家の家康としては、
秀吉の親類云々以前の問題として、
出自が百姓や鍛冶屋の似非武家には、
一代大名が我慢の問題だったんでしょう。
種別:戦国
片桐 且元
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1556-1615 享年60歳。
賤ケ岳七本槍の1人。
浅井家配下の子として生まれる。
浅井の滅亡後は秀吉に仕官し仕える。
なお当時より浅井長政の娘である
浅井3姉妹(茶々・初・江)とは面識があった模様。
賤ケ岳での活躍後は作事や検地など
主に内政面で活躍した。
秀吉の晩年は秀頼の傅役とされ1万石。
関ケ原後は秀頼の家老として
大阪城に入るも、家康とも親交。
豊臣と徳川の調停のため奔走するも、
淀殿から不忠を疑われ大阪城から退去。
大阪の陣を見届け病にて死す。
決して報われなかった、
なんとも悲しい秀頼付の爺や。
種別:戦国
脇坂 安治
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1554-1626 享年72歳。
賤ケ岳七本槍の1人。
浅井家滅亡後に織田家に仕え、
明智指揮下⇒秀吉の直臣になった苦労人。
賤ケ岳の戦いで活躍し、以後は水軍で活躍。
3000石⇒1万石⇒3万石と出世したが、
終始 家康寄りで関ケ原では立地により
西軍に付くも所領安堵される。
逆に1609年には5万3500石な加増転封。
賤ケ岳七本槍で1番の長命。
種別:戦国
柳生 列堂
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1635-1702年 享年67歳。
柳生宗矩の四男。
側室の子であり、出家して
柳生家菩提寺の住持となった。
柳生家を継いだ宗冬とは不仲であったそうな。
ちなみに子連れ狼の宿敵である
裏柳生総師 柳生烈堂のモデル。
種別:江戸
柳生 三尹
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1532? - 1600? 享年68?
七郎左衛門 石舟斎の弟。
兄とは違い新陰流ではなく、
京八流・中条流・神道流を学んだ剣豪。
茶も嗜み松永久秀とも親交があったという。
種別:戦国
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