7.ゲイム考

蝦夷の野望(第七幕)

粛々と内政を数ヶ月進め、いよいよ北条領 下野へ侵攻。

反北条連合の同時侵攻作戦として、
当家・佐竹家で北条領に侵攻し同時に、
西からは武田家による今川家への侵攻を指示。

岩代・磐城より主力を結集し(北)大田原城、(東)鳥山城を攻撃。
西より続々と送り込まれる援軍に苦慮しつつもなんとか攻略。
ここで疲弊した援軍の虚を突き、陸前より1万超の増援を動員。
さらに2城を落とそうと狙います。。。。

なお、同時期に尾張にて、ついに織田信秀が病没。
織田家信長が継承し戦国の表舞台に立ちました。

つい色気が出て追加で2城に侵攻したものの
片方が下野の本城だったこともあり半端ない数の援軍が押し寄せ、
ついには真打登場、北条の大旦那 北条氏康自ら12000の大兵で出陣。
約半年という混戦になり、氏康軍にはこれまでにない連敗を喫し、
からくも本城(宇都宮城)は落としたものの支城である祇園城は
諦めたのでした。敵方に捕縛された者もおり今回は痛み分け。。。
※なお、また親北条連合の加盟が増え、四国地方で一条家・長曾我部家。
近畿・中国地方で赤松家・毛利家・大内家という日本全土に飛び火する事態。


・・・ここでちょいと外交工作。
同じ反北条連合の一員なれど、北条に散々攻められ
弱体化している佐竹家に圧力をかけ当家の従属化を了承させる。
また今回の反北条連合結成の発案者でもあり、
盟主への推薦も行ってくれた長尾家景虎へ、
当家の姫を輿入れし婚姻同盟を締結。
これで長尾家とは半永久的な不戦同盟となりました!

対北条戦線でドタバタとするなか、さらなる官位を受領。
正五位上 修理大夫に任官。いよいよ上位の官位も視野に入ってきました。
領土もだいぶ増えてきたので、そろそろ第三軍団設立の予定。

さてさて、そんなこんなで現在の群雄割拠の情勢。1553年3月
「人口数ベスト7」人口・石高・兵数・武将・本城・支城
1.当家    修理大夫(正五位上D) 719242 35118 98504 110 10(31)
2.北条家氏康 相模守(従五位下D) 681434 30002 78128 83 7(20)
3.大友家義鎮 守護(正六位上E) 665717 30767 126561 55 6(24)
4.長尾家景虎 守護(正六位上E) 466622 15234 81659 67 5(14)
5.尼子家詮久 守護(正六位上E) 333641 10007 58983 39 7(7)
6.武田家晴信 大膳大夫(正五位上D) 295112 11332 39215 47 3(11)
7.今川家義元 守護(正六位上E) 221717 7668 36507 41 2(6)

ついに北条家・大友家を凌駕し全国首位の人口を有しました。
反北条連合の約定期間もあっちゅーまに残り半年。
解散後の京上洛を考えると進路上どうしても仮想敵国となる
武田家との関係も考えながら、残りの連合期間での運営を思案します。
また親北条連合への西国勢の結集振りからすると、
裏を返せば反当家が多いということもあり、最終的な展望は
(西)大友連合vs(東)当家・長尾連合での戦いとなるのでは・・・
とりあえず娘婿 長尾景虎の官位がちょっと見劣りするので
朝廷に官位をくれるよう進上しときましょう。