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暗中模索 (烈風伝)

前回から約10日、
滅亡寸前になりながらも進んできた道程を書いとこ。

1551年スタートのシナリオを、
新大名(徳川慶喜)と新武将の家臣(幕末志士や幕臣)で
九州の隈本城からスタート。

しばらくは内政に精を出すも
イマイチやり方が分からず一進一退。

ちょっと国力が上がってきた辺りで
南部の島津家領との国境にある支城 人吉城に攻め入る。
・・・しかし、これが引き金となり
島津家との支城の取り合い抗争が始まる。
あげくに島津家からの調略により、
元から仲が悪かった西郷隆盛が出奔、
幕臣 勝海舟・土方歳三が島津家に寝返るという惨状。

人吉城からは一旦手を引き国力を回復。
島津家に対する後難の憂いを減らす為、
九州北部と中国南部を領する大内家と同盟締結。

島津家との複数回の交戦で
鉄砲の有用性を認識(特に城防衛にて)したので
商人からチョコチョコと購入(高い!)してたら・・・
隈本城に鉄砲鍛冶が来訪!自家生産が出来るように!

チマチマと国力回復していると、
隈本城のすぐ西にある佐賀城から龍造寺軍が進軍。
さっそく生産した新兵器鉄砲で軽く撃退(笑)
直後に大内家から佐賀城攻めの援軍要請、
快く許諾し共に進軍する。
・・・しかし両軍を生かさず殺さずの参戦(悪い)
結局、大内軍は敗退し撤兵。
返す刀でわが軍が佐賀城に進軍。漁夫の利を得て軽く勝利(笑)

これで本城が2城。
徐々に財力もついてきたので、
忠誠が厳しい家臣らへの対策として
家宝を買い付けて家臣に褒賞として与える。

薩摩国境沿いの支城を攻めとり、
鉄砲適性の高い武将2名での少数精鋭防衛に。
攻めてきた島津家の武将を捕縛。
従う者は登用し、従わない者は戦力を削ぐため泣く泣く斬首。
ちなみに勝海舟はホイホイ内応して帰ってきた。
お調子者だ(笑)

大内家の援軍を伴い、
九州最西端 佐賀城の西にある平戸城に侵攻。
軽く落とす。鉄砲適性の高い武将を数人採用。

大内家の威光を最大限に活用して進軍してたものの、
どうも浪費が過ぎてたみたいで、
中国地方から侵攻してきた毛利家によって
大内家 九州北部の本城・支城があっという間に落とされ、
あっさりと大内家が滅亡。なお、この戦いに当家はノータッチ。
城の陥落直後にちゃっかり毛利家と同盟交渉し締結。

隈本城 東部の山を越えたとこにある大友家を見ると、
現在 渡海しての四国侵攻に熱心なようで
本城 府内城の兵数がガラガラ。・・・チャンス!
とりあえず山越えに時間をとられるので
まずは国境まで街道を建設。。。

街道の完成と同時に、
毛利家の援軍を従えて府内城に侵攻。
意外と激戦になるも制して勝利。

本城3つ、支城2つ。
島津家との勝ったり負けたりで
最悪70台まで下がってた威信も100を超えてきました。

その後、九州南部を統一しようと幾度か
島津家の本城 内城に攻めかかるも落とせず。
もはや城を守る武将は島津貴久と
初期に裏切った土方歳三の2人だけだってのに。
とりあえず先に府内城のずーっと南部、
島津家 内城の東に位置する
伊東家の本城 佐土原城を先に攻めとることに。

またしても毛利家援軍を伴い佐土原城に侵攻。
支城レベルの城を軽く粉砕。
しかし国主切腹後に確認すると
所持してた家宝の量・質がすげぇ(笑)
遺品の数々はあいかわらず忠誠が低い家臣らに褒賞。

 

さぁ、島津家をどう料理しようか・・・
先に島津の支城 種子島砦と
最南端の支城 肝付城を攻めるか?

12/15の進行状況。
1556年9月 威信106 朝廷好意78
城6 ( 本城3、支城3 ) 無位無官
武将24人 兵3万2156 鉄砲鍛冶2カ所。

 

1. 長尾家景虎 正六位上 威信170 城6 朝廷120
兵18802 武将37人

2. 北条家氏康 従五位下 威信156 城6 朝廷70
兵32093 武将24人

3. 伊達家晴宗 従四位下 威信155 城8 朝廷120
兵28566 武将20人

4. 今川家義元 正五位下 威信150 城8 朝廷130
兵25145 武将46人

5. 毛利家元就 従五位上 威信136 城5 朝廷20
兵19090 武将48人

6. 武田家信玄 正五位上 威信133 城2 朝廷110
兵4361 武将23人

7. 本願寺証如 正四位上 威信137 朝廷160 朝廷160
兵8244 城3 武将24人

8. 大友家宗麟 正六位上 威信127 城4 朝廷90
兵18626 武将21人

9. 六角家義賢 正六位上 威信120 城3 朝廷120
兵11104 武将17人

10. 山内上杉家憲政 従五位下 威信113 城1 朝廷150
兵9000 武将10人