半年かけて疲弊した兵力と兵糧を回復する。
その間にまた内政をポチポチと行いつつ、
ライバルの伊達や北条に気後れせぬよう朝廷へ官位を申請、
金6000を分捕られ(笑)「右京亮(従五位下D)」に任ぜられる。
1549年12月、満を持して陸前最南端の伊達支城へ侵攻。
当家の各城より、3400+1900+1800+1100
最上家より援軍1800
国人衆より援軍1400
合せて総勢、1万1400。
対する伊達家は城兵3200
南羽前・岩代からの援軍7200
合せて総勢、1万400。ほぼ互角の軍勢。
今回は前回のように続々と援軍が来ることもなく
すんなりと城を落とす。これにて陸前領の完全制圧を達成。
またチマチマと内政、、をせず調子に乗って速攻で
今回獲った城に隣接する伊達家の磐城磐城北端の城に攻め入る!
・・・・も、今回は伊達家の磐城にある支城から
膨大な援軍がやってきてあえなく敗退し撤退。。。
やはり慌てるのは禁物か(トホホ・・・)
というか磐城は城数(城数8)も多く、さらに近くにあるため
援軍が多数+迅速にやってくるという攻め難き難所。
ちょっと考えないとなぁ、、、
ちょいと考えた結果、こちらも磐城に面する国境南端に
支城を築城することを発案。補給にも援軍にも使える前線基地に!
結構な建築費用と日数(約3ヶ月)がかかるけどその価値はあるはず。
さっそく大きな街道が十字に交差する要所に
支城(岩沼城)の建築を開始。(命名できないのはちと残念)
そんなこんなでまたボチボチと内政の日々を送っていたら、
越後の長尾景虎からの密使が!内容を聞いてみると
対北条連合結成の呼びかけ!しかもこっちに盟主になれってぇ!?
うちが現在、目下抗争中の伊達と北条は同盟中なので、
当家・長尾vs伊達・北条という図式かぁ。悪くない。
ていうか長尾景虎の誘いってだけで光栄至極。断れない(笑)
1550年9月、肥大した北条家に対抗するため反北条連合を結成。
実際の連合の内訳は、、、、
・反北条連合
(当家(最上家・大宝寺家)・長尾家・武田家・佐竹家)
・北条連合
(北条家・伊達家・今川家・村上家)
なんと武田や今川をも巻き込んだ
東日本一帯での大戦になってしまいました(笑)
※長尾景虎と武田晴信が手を組み戦うという夢の展開ですねぇ。
なお連合の具体的な戦力は、、、
・反北条連合(6家)
人口:106万4692 兵数:17万3613 武将:196 本城:14(支48)
・親北条連合(4家)
人口:110万684 兵数:18万441 武将:157 本城:15(支37)
さてさて、そんなこんなで現在の群雄割拠の情勢。1550年10月
「人口数ベスト7」人口・石高・兵数・武将・本城・支城
1.北条家氏康 相模守(従五位下D) 607717 27925 102425 70 8(20)
2.大友家義鎮 守護(正六位上E) 436806 22125 66616 40 5(18)
3.長尾家景虎 守護(正六位上E) 368512 12214 62590 52 4(13)
4.当家 右京亮(従五位下D) 340140 15011 50624 64 6(17)
5.今川家義元 守護(正六位上E) 276947 9996 52985 41 3(8)
6.尼子家詮久 守護(正六位上E) 275911 8760 45212 34 6(7)
7.大内家義隆 守護(正六位上E) 247166 11515 29221 27 3(6)
*.伊達家晴宗 左京大夫(従四位下C) 197422 11169 22865 39 3(9)
いよいよ戦国時代も主役が出そろう時代、
北条家は氏綱から氏康へ、長尾家は晴景を廃し景虎へ、
武田家は信虎を追放した晴信へ、大友家は二階崩れで義鎮へ、
伊達家は植宗を廃した晴宗へ、今川家は義親から義元へ。
そして史実通りに進めば1551年には織田信秀が急死し
織田信長が戦国乱世に乗り出してきます。