7.ゲイム考

蝦夷の野望(第四幕)

陸中攻略後、約半年かけて攻め取った
各城の内政と国人衆の懐柔を進める。
朝廷への献金が功を奏し常陸介に任ぜられる。


さてさて、そんなこんなで現在の群雄割拠の情勢。1548年1月
「人口数ベスト5」人口・石高・兵数・武将・本城・支城
1.北条家氏康 相模守(従五位下D) 428991 18871 71437 59 6(16)
2.大友家義鑑 守護(正六位上E) 343183 16322 59320 38 5(15)
3.長尾家晴景 守護(正六位上E) 281131 10895 45462 45 4(10)
4.伊達家晴宗 左京大夫(従四位下C) 244059 12154 43835 51 4(13)
5.大内家義隆 守護(正六位上E) 227129 11353 33676 24 3(7)
(当家 常陸介(正六位上E) 195069 石高7459 兵27126 武将57 本城5(支12) )全国7位

大内家は尼子・大友との戦いにより伸び悩みの模様。
長尾は能登を手中にして、本願寺と対峙。
近畿では細川家が頭一歩抜け、しかし将軍家も健在で混沌。
中部では今川も武田もイマイチ伸び切らず、
関東では北条が東に拡張、東北では伊達が東西に拡張。




戦力もほどほどに整ってきたので伊達家の陸前に進攻!
東陸奥より本城3900+支城900で、西の支城を攻め、
陸中より本城2000+支城1100+800で、東の城を攻めます。
この他に第二軍団より支援が3500、国人衆が2500集い、
総勢14700にて伊達領の2城に攻め入ります。

想定以上に押し寄せる伊達家の援軍に苦しみつつも、
なんとか無事に2城を攻略。この2城を対伊達への前線として
これからの伊達への進攻作戦を練る。。。
流石にこれより南へ進攻すると伊達本隊からの援軍も考えられるので
陸前については慎重に1城ずつ攻略していきます。

1549年2月、戦力充実し陸前本城への進攻を開始。
兵の陣容は、
東陸奥から、4100
陸中から、本城2100+支城1000
陸前から、1900+1600
第二軍団(羽後)より、1300+1100
最上家より援軍、1700
国人衆より援軍、2400+1900
計19100の軍勢にて進攻。

思いの外、強い反抗にあい両軍援軍が入り乱れての
一進一退の攻防を繰り返したものの、陸前領の伊達家本城を落とす!
・・・と早々に伊達家が自領3国(南羽前・岩代・磐城)から
兵20500をまとめ反撃の軍を出撃!げげげ!
こっちは未だ城攻めで疲弊した状態で、
近隣の支城から兵をかき集めてもせいぜい6700程度。
従属している大宝寺家に陽動作戦として、
伊達の城(南羽前)を攻めさせるも、たぶん焼石に水。。。
腹をくくって最前線の城で大軍団到着を待つ。。。

先陣の1万の軍勢が到着。
両軍が入り乱れる状態となり、初の大会戦へ。
善戦むなしくも敗退、、、第一陣の舞台は撤退へ。
その後も続々と襲い来る伊達家の後詰めに初の守るほうの攻城戦。
からくも退けるも無尽蔵かとも思える伊達の増援軍に
消耗戦となり兵量がツライ。ここはまだまだ自力の差が出るか。。。
数か月の激闘の末、なんとか停戦状態へ。


さてさて、そんなこんなで現在の群雄割拠の情勢。1549年8月
「人口数ベスト7」人口・石高・兵数・武将・本城・支城
1.北条家氏康 相模守(従五位下D) 522426 24816 84418 68 7(18)
2.大友家義鑑 守護(正六位上E) 371137 19527 67045 40 5(15)
3.長尾家景虎 守護(正六位上E) 348565 12467 49358 53 4(13)
4.当家    常陸介(正六位上E) 275751 11195 36965 62 6(14)
5.今川家義元 守護(正六位上E) 262308 9384 44231 42 3(8)
6.大内家義隆 守護(正六位上E) 250155 12168 39191 25 3(7)
7.尼子家詮久 守護(正六位上E) 234533 7708 43009 33 5(7)
*.伊達家晴宗 左京大夫(従四位下C) 214320 12410 36140 25 3(7)

伊達家が全力で守ろうとした大城だけあり、
当家が7位から一気に4位にランクイン!
しかし未だ伊達家とは、ほぼ同兵力。油断なりません。

なお最大勢力の北条家は人口:約2焙。石高:約2焙。兵数:約2焙。
という、恐るべし勢力となってしまっております。