天下布武に出てて烈風伝に出てない武将紹介。
10月直前に「み」編がスタート。
三浦義就 (1530? – 1560?)
政治31・戦闘65・采配60・智謀30
内特(建設) 戦特(騎突)
職業() 主義(重視)
足軽C・騎馬C・鉄砲E・水軍E
義理(85) 最大義理(100)
口調(無口) 思考形態(強保守)
上洛志向(上洛) キリスト教理解(敵視)
今川義元の家臣。
源頼朝の家来 三浦氏の子孫という名家。
桶狭間の戦いにおいて戦死。
ノホホンとした日々を記します
天下布武に出てて烈風伝に出てない武将紹介。
10月直前に「み」編がスタート。
三浦義就 (1530? – 1560?)
政治31・戦闘65・采配60・智謀30
内特(建設) 戦特(騎突)
職業() 主義(重視)
足軽C・騎馬C・鉄砲E・水軍E
義理(85) 最大義理(100)
口調(無口) 思考形態(強保守)
上洛志向(上洛) キリスト教理解(敵視)
今川義元の家臣。
源頼朝の家来 三浦氏の子孫という名家。
桶狭間の戦いにおいて戦死。
天下布武に出てて烈風伝に出てない武将紹介。
チョー長かった「へ・ほ」編が終わって「ま」編がスタート。
「ま」も前田一族に松平一族と大所帯だなぁ
・・・これって年内に終わるのかしら??
前田茂勝 (1582-1621)
政治8・戦闘11・采配8・智謀16
内特() 戦特(焙烙)
職業() 主義(軽視)
足軽E・騎馬E・鉄砲E・水軍E
義理(35) 最大義理(70)
口調(粗暴) 思考形態(強革新)
上洛志向(地方統一) キリスト教理解(歓迎)
前田玄以の三男(次男説も)
親父は僧籍にあるのにキリシタンになるという偏狂者。
やっぱりというかなんというか父の死後に跡を継いだが、
色々とムチャクチャをして見かねた家臣から諫言されるも
それらをドンドン切腹させ、みかねた幕府に改易させられた。
碌な逸話が残っていない人。あ、キリスト教には熱心だったらしい。
まだまだ続く、烈風伝に出ない天下布武武将、
次は「へ」武将のスタート。ていうか1人だけ。
あまりに少ないので「ほ」武将も・・・
(軽い気持ちで追加したら「ほ」武将ムチャクチャ多い)
別所村治(就治) (1502-1563)
政治37・戦闘53・采配65・智謀33
内特(外交・登用) 戦特()
職業() 主義(軽視)
足軽C・騎馬C・鉄砲D・水軍D
義理(65) 最大義理(85)
口調(普通) 思考形態(やや革新)
上洛志向(地方統一) キリスト教理解(不信)
赤松氏の重臣。のちに独立し大名化。
浦上氏や尼子氏、三好長慶らと東播磨をめぐり争った。
※就治 名で出てました(笑)
割と多めの「ふ」武将をスタート。
福島高晴 (1573-1633)
政治63・戦闘76・采配73・智謀28
内特(商業・建設) 戦特(騎突・焙烙)
職業() 主義(重視)
足軽B・騎馬B・鉄砲D・水軍D
義理(70) 最大義理(85)
口調(粗暴) 思考形態(やや革新)
上洛志向(上洛) キリスト教理解(不信)
福島正則の弟。秀吉死後、兄と共に家康につく。
1万石から3万石に加増されるも、粗野で横柄な性格は
さらに増長し、家臣が家康に改善を直談判する始末。
改易され伊勢に蟄居、以来10年以上許されぬまま
貧困の生活の中で死んだそう。自業自得だぜ。
長かった「は」が終わりまして、続いて「ひ」がスタート。
・・・いつ終わるんだろ?(笑)
土方雄久 (1553-1608)
政治62・戦闘53・采配67・智謀66
内特(外交・登用) 戦特(焙烙)
職業() 主義(軽視)
足軽C・騎馬C・鉄砲C・水軍E
義理(70) 最大義理(85)
口調(普通) 思考形態(やや革新)
上洛志向(上洛) キリスト教理解(中立)
織田信長⇒信雄に仕え、後に秀吉に仕える。
秀吉死後、家康の暗殺を企て改易、佐竹家に蟄居。
しかし逆に家康に気に入られ家臣となる。
真田丸もやっとこ28話。
秀秋は小早川家へ出され、秀保は早世してしまい、
そして残された精神薄弱の秀次は最終的に自死。
いよいよ豊臣家も本格的に崩壊開始・・・
それにしても秀次が実は隠れキリシタンっていう設定は
アリだとしても、キリシタンが自死っていうのはなあ・・・
※実際、教徒だった小西行長は関ヶ原敗戦後に
教義に反すると切腹を拒否して獄門になったワケだし・・・
豊臣秀次 (1568-1595)
政治66・戦闘40・采配55・智謀13
内特(建設・登用) 戦特()
職業() 主義(絶対)
足軽C・騎馬D・鉄砲D・水軍D
義理(100) 最大義理(100)
口調(高貴) 思考形態(強保守)
上洛志向(地方統一) キリスト教理解(歓迎)
享年27。真田丸を元に数値を査定。